家庭科の実像を「みえる化」しよう

―家庭科に関するインターネット取材を受けて思うことなど―

横浜国立大学教育学部 堀内 かおる

はじめに

2023年度に、2つのオンライン記事のライターから取材を受けました。               
一つは、5月の集英社オンライン(前半と後半の2部構成)
男女共修化までの長い道のり…かつての「男女別の技術・家庭科」に見え隠れする政財界の思惑と性別役割分業に基づく日本社会 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい (shueisha.online)

家庭科が男女必修になって30年。それでも女性的イメージが付きまとう理由と「男性」家庭科教師が担う大きな役割 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい (shueisha.online)


二つ目は、12月の東洋経済オンライン 探究も地域共生もフォロー可能、有用なのに「家庭科」の存在感が薄い理由 障壁となる「旧世代のジェンダー観」と「受験」 | 東洋経済education×ICT(toyokeizai.net)
いずれも、ライターの方から直接連絡があり、「家庭科」について書きたいとのこと。そもそもなぜ今家庭科について書きたいのか、と問えば、「技術・家庭科の男女共修化とジェンダー」への関心であったり、「現代の家庭科」がどうなっているのか、そして「男性家庭科教員」の存在や、家庭科教師たちが今どのような課題を抱えているのか、といったことを知りたい、というお申し出から始まりました。


ライターの方々はどちらも、男女必修家庭科を学んできた世代の女性たちです。彼女たちにとって、過去の男女別履修だった中学技術・家庭科や女子のみ必修だった高校家庭科の存在は、ジェンダー差別教育の黒歴史という認識はあるにせよ、実感のわかないことなのかもしれません。それでも、ジェンダーギャップ指数の著しい低位に甘んじている日本の状況をふまえ教育の影響は少なくない、という思いから、家庭科に関心を寄せてくれたようです。
取材に応じ、また原稿をチェックさせてもらう中で感じたことは、「家庭科の存在を可視化して、世の中に伝えていくべきことがある」という使命感でした。具体的に、どういう話になったのか、次に紹介したいと思います。

社会の構造的変化と政策としての教育  

中学校に教科:技術・家庭が誕生したのは、1958年(小・中学校)および1960年(高校)の学習指導要領改訂の時です。この時から、学習指導要領は文部省(現在は文部科学省)告示 となり、法的拘束性を持つとみなされる教育の基準として位置づくようになりました。当時の日本は、高度経済成長期に入り、第二次産業の発展を掲げて科学技術の振興が国家の主要な政策となっていました。  

経済産業界の要請を受け、技術・家庭科は誕生します。そもそも、当初は教科名を「技術科」とするという案もあったと言われています。「家庭」という名称がなくならなかった背景には、当時の家庭科教師や関連団体からの強い要望もありましたが、技術・家庭 というように、「・」でつないでいることの意味が、非常に重要です。この「・」を教科名に含めることで、ある意味、この教科を設置する合理的な説明になったのだと、解釈できるのです。どういうことかというと、当時の学習指導要領には、次のように書かれています(朴木・鈴木共編 1990)。  

生徒の現在および将来の生活が男女によって異なる点のあることを考慮して,「各学年の目標および内容」を男子を対象とするものと女子を対象とするものとに分ける。

 男子生徒は「男子向き」とみなされた「技術」を学び、女子生徒は「女子向き」とみなされた「家庭」を学ぶ、そしてその内容は「・」で結ばれています。つまり、「異なるけれど同格」という意味をくみ取ることができます。これは、性別役割分業を正当化する際の論法ですね。男性と女性は異なっているから、それぞれに適した役割がある。しかし平等であり対等である、と。1960年の高等学校学習指導要領において、高校家庭科の女子のみ必修が提起されますが、改訂に先立ち公示された教育課程審議会答申「高等学校教育課程の改善について」(1960.3.31)では、「第2.教科等に関する事項」の「家庭」において、次のような記述があります(前掲書)。

女子の特性にかんがみ、家庭生活の改善向上に資する基本的能力を養うため、「家庭一般」をすべての女子に原則として履修させるものとすること    

「女子の特性」という一言で、「家庭」を学ぶ必要性と意義が国民に説明できてしまった、そんな時代だったのですね。教育政策という言葉があるように、性別役割分業が技術・家庭科、家庭科の教育を通して国民の意識に根付いていき、その意識に支えられ家庭をつくり性別役割分業に則った家族関係を築いていった国民がどれほど多かったことでしょう。  

家庭科の意義を発信しよう  

この「女子の特性」この「女子の特性」論、今も、潜在的に人々の意識の中に根付いていませんか。家庭=女子向き という前提は払しょくされないまま、男子も家事・育児参加を、という掛け声が、現在も聞こえてくるように思います。  

改めて、性別によって学習する意義に軽重がつけられるものではなく、「よりよく生きる」ために必要な学びが家庭科なのだと、言いたいです。人生100年時代と言われる現在、若いころから生活コンシャスな生き方を指向することが大切です。職業生活も家庭生活も、地域の中での自分の居場所となる空間の保持も心掛けながら、ライフキャリアを充実させていくことは、やろうと思ってすぐに成果が見えるものではありません。時間をかけて、人と人との関係をつなぎつつ、自分に合った方法で、生活を楽しみながら日々を営んでいく、という習慣。そのような生活に自覚的であることが、長い人生を充実させたものにすると考えています。  

家庭科は、「よりよく生きるための基礎教養」です。大人にとっても、今からでも学び直しが可能です。気づいた時から、学びが始まっているのです。  

家庭科教育に関わる先生方は、ぜひ、子どもたちに対して、また保護者に対して、現在の家庭科教育の内容と意義について、授業をはじめ様々な方法を通して発信していっていただきたいです。  

おわりに  

冒頭のインターネット記事に話を戻します。どちらの記事も、Yahooニュースに転載されると100以上のコメントが寄せられ、かなりの反響を呼びました。現役の家庭科教師からのコメントもあれば、男女共修家庭科の第1期生だったという男性、女子のみ必修家庭科履修者の女性など、それぞれの立場から過去を振り返り、学習したこと・しなかったことが現在の自分にもたらしている影響や効果について、語ってくれています。こうしたコメントを見るにつけ、教育は「人をつくる」ものだと実感します。

 多感な子ども期にどのようなことをどんな方法で学んだのか、ということは、その後の人生に少なからず影響を及ぼしています。家庭科は、生活者としてのその人の考え方を形成し、生活を営む主体的実践者(生活主体)としての、知識とスキルを育む教科です。この教科をなんとなくスルーしてしまったら、自分の生活に自分で責任を取る、という「当たり前のこと」ができない・考えようとしない、大人になってしまうでしょう。その人の人生とともにある教科が、家庭科なのです。  

家庭科にもっと、注目を。そしてできれば授業時数の増加を、臨みます。   

引用文献  

朴木佳緒留・鈴木敏子共編(1990)『資料からみる戦後家庭科のあゆみ―これからの家庭科を考えるために―』学術図書出版社